電子書店のサービス終了で本が読めなくなるのは、電子書籍のフォーマットが統一されていないことが原因ではなく、デジタル著作権管理(DRM)の問題だ。

東芝「BookPlace MONO」

 「電子書店のサービス終了とDRM問題」というタイトルで、出版ニュース2017年9月上旬号に寄稿しました。ブログへ転載するにあたって、少しタイトルを変えてみました。以下、縦書き原稿を横書きに変換していますが、文体は掲載時のまま(常体)です。また、少しだけ加筆修正してあります。

◇ ◇ ◇

 たまに“デジタルデータは劣化しないし場所もとらないから、紙で保存するのはやめてすべてデジタルデータにしよう”といった言説を見かけることがある。私は、前半はそれなりに正しいが、後半は早計だと考える。ハードディスクが壊れて過去何年間ものファイルを失ったり、古い物理メディアからファイルが読み取れなくなったりといった経験は、デジタル時代において誰もがくぐり抜ける試練の一つだろう。

 ただ、デジタルデータには「複製が容易」という特徴もあるので、あちこちにバックアップしておくことで一つが潰れても問題ないような体制にすることは可能である。それでも、仕様の公開されていない古いフォーマットに対応しているアプリが、最新のOSでは存在しないといった事態は起こりうる。

 ところがそもそも、有料で販売されているデジタルの本(以下「電書」)は、複製や移動に制限がある場合が多い。これがデジタル著作権管理(DRM : Digital Rights Management)だ。複製が容易なデジタルデータの特性に制限を加えることで、海賊版の防止と有料販売数増を図ることが主な目的である。

 そのため、フィーチャーフォンが主流だった時代(まだそれほど遠い過去の話ではない)の電書には、ユーザーにとって理不尽な制約が多かった。ダウンロードした端末一台のみでの閲覧。端末本体に保存したファイルを、マイクロSDカードへ移動できない制約。再ダウンロード期間の限定、などだ。

 現在は、多くの電子書店がDRMによる制限と同時に、購入済みの電書をいつでも再ダウンロードできる仕組みを提供している。いわゆる「クラウド本棚」だ。つまり、ユーザーの代わりにサービス事業者が、電書のバックアップ体制を用意しているわけだ。また、複数の端末での閲覧も可能で、家では大画面のタブレット、外出したらスマートフォンで続きを読むといった使い方もできる。とても快適だ。

 ユーザーにとって理不尽な状態は徐々に解消され、進化できなかった不便なサービスは淘汰されていった。デジタル出版の市場がここ数年で急成長した要因の一つに、このクラウド本棚を備えたサービスの普及があるだろう。

 しかし、いまだに問題となるのが、電子書店のサービス終了だ。クラウド本棚の停止により、再ダウンロードが不能となる。そのため、端末が壊れたり、OSのアップデートでアプリが利用できなくなったりすると、せっかく買った電書が読めなくなる。いわば“死の宣告”を食らったような状態になるのが一般的だ。なお、ストリーミング配信の場合は、サービス終了と同時に閲覧不能となる突然死を迎える。

 つまり、DRMは海賊版対策と同時に、ユーザーを購入店に縛り付ける枷でもあるのだ。紙の本なら簡単にできる「プレゼント」や「友人との貸し借り」といった行為も、電書はDRMが困難にしている。端末ごと貸すような手段もあるので不可能とは言わないが、高コストだ。プレゼントが可能な電子書店も一部に存在する(「honto」や「iBooks」や「Kinoppy」には特定の本を特定の相手に贈れるギフトサービスがある)が、機能を用意するかどうかは事業者次第。紙の本ならどの書店で買っても読書体験は同じだが、電書は購入した電子書店によって読書体験が異なるのだ。

 そして多くの場合、他店のサービスへ移行するためには、過去に購入した電書を旧サービスへ置き去りにするか、諦めて買い直す必要がある。「BOOK☆WALKER」のように、他店で購入した履歴を引き継ぐことが可能な「共有本棚」サービスを展開しているところもあるが、残念ながらまだ一部の例外だ。

 インターネット総合研究所の『電子書籍ビジネス調査報告書2016』によると、「有料の電子書籍利用者」の三割以上が「購入した電子書籍が永続的に読めるか不安」と答えている。この不安は、有料の電子書籍利用率がいまだ二割にも届かない理由の一つと言える。実際、2013年の楽天「Raboo」や2014年の「ヤマダイーブック」の終了時などは、「炎上」と言っていいほど大きな騒ぎになった()。ポイント還元などの救済措置が用意されてもなお、“これだから「電子書籍」は信用できない”といった意見も多く目にした。

 ところが同じデジタルコンテンツでも例えば「オンラインゲーム」は、サービス終了と同時に例外なく問答無用で遊べなくなる。ところが私は、“これだから「オンラインゲーム」は信用できない”といった、オンラインゲーム全般を否定するような意見は見たことがない(特定の企業が信用できない、という話ならある)。アミューズメントパークなどと同様、ゲームを楽しんだその瞬間の体験や思い出に対価を払っている感覚になるからであろうか。

 電書がなかなかそういう状態にならない理由の一つは、物理メディアを購入して「所有」するという歴史が極めて長いからだろう。コンテンツと閲覧メディアが一体のパッケージは、保存性に優れている。しかも、紙の本は比較的安価だ。読まなくなったら古書店へ売ったり、友人へあげたり、廃品回収に出したり、ゴミとして捨てたりと、処分する方法もいろいろある。そもそも、置き場所に困るほど本を買う人は少数派であろう。

 それに対し電書には、前述のメリット以外にも「本の中身を検索できる」「マーカーやメモ書きを即座に一覧できる」「任意で拡大縮小できる」「ネットに繋がる環境ならいつでもすぐ購入できる」などの、紙とは異なるメリットがある。しかし、多くの人にはまだ、「電池切れで読めなくなる」「サービス終了で読めなくなる」「友人との貸し借りが難しい」といったデメリットのほうが大きく感じられているのではないか。

 では、DRMをなくせば万事解決するのだろうか? そうとは限らない。DRMのないデジタル写真やイラストの現況からすると、電書が簡単にコピーできればカジュアルに違法アップロードされ、無料で拡散していくことが容易に予想できる。本の制作に要したコストを回収するため、著者や出版社が強いDRMを望む気持ちは理解できる。

 しかし、強すぎるDRMは、正規で購入したユーザーが不便を被るなど、悪影響も強くなる。正規版より海賊版のほうが便利であれば、多くの人は海賊版に流れてしまう。海賊版を駆逐するのは、利便性の高い正規版というのがセオリーだ。

 今後、電子出版市場がもっと拡大していくためには、「サービス」を「所有」にもう少し近づけていく必要があるのではなかろうか。例えば「ソーシャルDRM」だ。ファイルに購入者情報が埋め込まれているため、違法に拡散されると犯人の特定が用意であることが、違法コピーの抑止力となる仕組みである。

 出版社直営電子書店では、ソーシャルDRMの導入例もそれなりにある(※1)。ところが、一般的な総合型電子書店には、なかなか導入されない。私は、今後はソーシャルDRMがもっと普及すると思っていたので、非常に歯がゆい。ユーザーをDRMによって縛り付けるのではなく、よりよりサービスを提供することによってユーザーを虜にして欲しいものだ。

(※1)参考:電子書籍情報まとめノート
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yama88/pla_2.html#f

(初出:出版ニュース2017年9月上旬号

◇ ◇ ◇

 ちなみにアイキャッチ画像は、東芝の「BookPlace MONO」という、電子書店「BookPlace」が U-NEXT に事業継承されて以降、存在しなかったことにされた悲劇の端末であります。