【書評】イーライ・パリサーさんの「閉じこもるインターネット」を読んだ。

何がきっかけでこの本を買ったか忘れてしまったのですが、帯を書いているのが東浩紀さんと津田大介さん、発行が早川書房(いずれもTwitterでフォローしている)なので、その界隈から流れてきた情報を見て、たぶん「これは読んでおかないと」と思ったのだと思います。

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

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イーライ・パリサー

早川書房

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表紙側のそでに、こんなことが書いてあります。

あなた好みの情報を自動的に取捨選択して見せてくれる、近年のネット社会のフィルタリング技術。その裏に潜む、民主主義さえゆるがしかねない意外な落とし穴とは――。

「フィルターバブル」問題に警鐘を鳴らすニューヨークタイムズ・ベストセラー、待望の日本語版。

そして副題は「グーグル・パーソナライズ・民主主義」です。うわーこれは Google 批判の本なんだろうなーと思っていたら、Google も Facebook も批判対象でした。

ボクは Facebook が嫌いなので知らなかったのですが、「友だち」になっている相手から共有されたリンクが、ニュースフィードに表示されないことがあるんですね。自分の好みを Facebook が勝手にソーシャルグラフから判断して、嫌いだろうというリンクは隠してしまうとか。

もっとも、Google の検索も、既に人によって違う結果を表示しています。2009年12月以降、パーソナライズドされているそうです。

東浩紀さんが帯に書いていますが、

あなたが見ているネットは、わたしが見ているネットと同じではない。

これってもちろんIT業界界隈の人はご存知でしょうけど、一般の方が他の人と比較をすることって滅多にないので、いまだに認識してない人が多いんじゃないでしょうか。

この本が警鐘を鳴らしているのは、そういうフィルタリングを知らないうちにされていること、そのフィルタリングのロジックが公開されていないこと、そのフィルタリングを行なっているのが一部の私企業であること、などに対してです。

第一次世界大戦のプロパガンタに新聞が利用されたのをきっかけに、ウォルター・リップマンは「世論は従順過ぎる。簡単に人々は誤った情報に導かれ操作されてしまう。『民衆は、幅広い情報に基づいて合理的に判断する』というのは幻想である」という説を唱えたそうです。

リップマンは、「統治は、十分な教育をうけ、進行する事態の真の姿を見る能力を持ったその道の専門家に任せるべき」と主張しました。ある意味、民主主義の否定ですね。

これに哲学者のジョン・デューイが反論します。前段は正しいけど、後段の手法が誤りだと。ジャーナリストや新聞は、国家の問題は人々の問題でもあると呼びかけ、人々が内に持つ「市民」を呼び覚まして民主的な参加を推進する重要な役割を果たすことができる、と主張しました。

当時新聞は儲かっていて余裕があったので、営業部門と報道部門を分離して、客観性を支持し、偏向した報道を糾弾し、中立的立場から報道を行い、世論を形成するようになっていきました。

いま Amazon や Google や Facebook が行なっているキュレーションは、こういった旧メディアが健全化したようなプロセスを経ていないですし、彼らがどういう意図を持ってフィルタリングしているのかを我々が知る術は無いところに問題がある、と著者は主張しています。

この辺りの論は比較的受け入れやすいのですが、フィルタリングをされると人々の思考がどう歪むか? という論に関しては、検証されたものが無いため、どうも論理の飛躍が起きているように感じられます。

「人は見たいと思うことを見るようになる。不都合なことは余計に見えなくなる。これを確証バイアスと呼ぶ。」とか、「フィルターバブル内では感情的な話が勢いを持ちがち。恐れ、不安、怒り、幸福感などの感情を強く喚起する記事ほど他人とシェアされることが多い。」といった話は、ボクの実感とも近いので共感できます。

しかし、「ウェブはウィキペディアに代表されるように、項目から項目へジャンプすることで、外へ広げていくプロセスに適した特性を持っている。しかし、フィルターバブルの普及で、意図しないものとめぐり合う可能性が減ってしまう。」という、著者の主張の根幹をなす部分の根拠がちょっと弱い気がするんですね。

というのは、検索結果でフィルタリングされていたとしても、リンクを開けば自分の欲しい情報とは無関係なものが、サイトのあちゃこちゃに散りばめられているわけですよ。ネットを利用しているとそういった邪魔な情報で注意力が散漫になってしまう、という「ネット・バカ」の主張の方がボクにはしっくりするし、フィルタリングによるデメリットよりも大きいのではないかと思います。

ちかごろ Google のプライバシーポリシー変更に対する警戒や批判の声が凄いですが、ボクは過去の経緯から「Google ならボクの個人情報を預けても大丈夫だろう」という判断をしています。逆に、 Facebook には渡したくありません。過去の経緯から、非常に危険だという判断をしています。

この本の著者は、Facebook の創業者であるザッカーバーグ氏の「アイデンティティはひとつ」という言葉は正しくないと断定します。言動は状況によって左右されるし、性格も時と場合によって驚くほど流動的だから、と。

そして、「アイデンティティというものを誤解している企業に個人的なデータを渡すと、どのような危険があるかがわかる。仕事時間の自分と、夕方お酒を飲んでどんちゃん騒ぎする自分に切り替えたい時と、フィルターが同じだったら困るはずだ。」と辛辣な批判をします。ボクが Facebook 嫌いというのもありますが、この辺りの意見には同意できます。

しかし例えば「高校生の同級生が支払いにルーズだから、という理由で銀行から低く評価される」という事例を挙げ、「アルゴリズムでデータから理論する論理的手法、すなわち帰納法がもつ根本的な問題」と著者は主張しますが、これには同意できません。相関関係だけで判断し因果関係が無いものをアルゴリズムに組んでしまったのがおかしいだけで、論理的手法の問題では無いからです。

ただ、因果関係が無いものをアルゴリズムに組んでしまう危険性と、そのアルゴリズムが明かされていないのでそのアルゴリズムが正しいかどうかを客観的に判断する術がない、という主張には同意します。

ところどころにこういう「あれれ?」という所がありますが、総論として主張したいことはわかる、そんな本でした。この本がきっかけで、国が妙な規制を入れるなどといったおかしな方向にならなければいいなー。そっちの方が心配だ。

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

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イーライ・パリサー

早川書房

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