2012年7月8日日曜日

東京国際ブックフェアシンポジウム「電子書籍時代に出版社は必要か?」に行ってきた


ボクは田舎の出身なのですが、東京に住んでいるとこういった催し物に「行こうと思えばすぐ行ける」というのが何ごとにも代えがたいと思います。


<シンポジウム内容>
出版業の本質は、著作者の「作品」を「本という商品」にすること。作品を本にする過程での貢献、本の流通の成否に負う責任、そして新たな作品・作者の発掘 ─ 出版社は出版文化の「創造のサイクル」を回す役割を担ってきた。しかし、「作品」が即「商品」として流通しうる電子書籍時代に出版社の関与は不要、との論もある。出版社は、本当に必要なのか? そして「出版者への権利付与」は正当なのか? 5人の識者が激論を交わす。

【パネラー】
赤松 健 氏(漫画家・株式会社Jコミ代表取締役社長)
植村 八潮 氏(専修大学教授・株式会社出版デジタル機構会長)
岡田 斗司夫 氏(著述家・FREEex代表)
三田 誠広 氏(作家・日本文藝家協会副理事長)
【コーディネーター】
福井 健策 氏 (弁護士・ニューヨーク州弁護士・日本大学藝術学部客員教授)

これを無料でやっちゃうというのは、太っ腹すぎやしませんか。



このシンポジウムは、東京国際ブックフェアのパンフレットには載っておらず、後から急遽差し込まれたモノのようです。だから無料にしたのかな?とは思いますが、事前予約で先着150名の枠が、希望が多かったので300名に拡大し、それでも一杯になるほどの人気だったようです。

地方に住んでいると、なかなかこういったイベントへ気軽に行けないのですよね。交通費や移動時間を考えると、前後に予定を入れないともったいないという感じになって、大仕事になってしまう。

今回の場合、岡田斗司夫さんがFREEexで生放送してくれたので、画面で生放送を観た人もいるでしょうし、プレミアム会員なら後から見返すこともできるわけですが。



それでも「ライブ」の魅力にはかなわない。ライブはお金をとって、放送は無料で配信するというのがビジネスモデルとしては正しいのではないかと思います。



閑話休題、シンポジウムの内容について。

赤松健さん岡田斗司夫さんは、Twitterやブログ・メルマガ・著書などで積極的にご自身の意見を発信しており、ボクもそれらにはかなり目を通しているので、だいたいどんなことを喋るだろうというのはある程度事前に予測ができましたし、だいたい予測通りでした。

また、福井健策さんはコーディネーターということで、「場」のコントロールと、パネラーの判りづらい発言をうまく整理して伝えるという役割に徹していたように思います。さすが弁護士。

しかし、出版デジタル機構会長の植村八潮さんと、作家の三田誠広さんは、正直言ってどういう方かあまり知りませんでした。


植村さんに関しては、このインタビュー記事にざっと目を通した程度ですかね。これも「出版デジタル機構がどういう組織なのか?」を語ってはいますが、ご自身の考え方や人柄までは判らない。

ちょっと意外だったのが、植村さんは出版デジタル機構会長という立場でありながら、今ある出版社の形を守ろうとはあまり思っていないようでした。本来果たすべき役割を果たせていない出版社は、潰れてもらっても構わない、くらいの勢いでした。そして、「汗を流した人が報われるべきだ」とか、「だから海賊版は絶対に許さない」といったことを、熱く語っていました。結構熱い方のようです。


出版社の機能論:
理念上は
  1. 作家を発掘し育成する「発掘・育成機能」
  2. 作品の創作をサポートし、時にリードする「企画・編集機能」
  3. 文学賞や雑誌媒体に代表される信頼により世に紹介・推奨する「ブランド機能」
  4. 宣伝し、各種販路を通じて展開する「プロモーション・マーケティング機能」
  5. 作品の二次展開において窓口や代理を務める「マネジメント・窓口機能」
  6. 上記の初期コストと失敗リスクを負担する「投資・金融機能」

これは福井さんが用意していた資料ですが、「理念上は」とわざわざ書いてあることからも判る通り、すべての出版社がこれらの役割・機能を果たせているわけではないようです。出版社不要論みたいなのが持ち上がってくるのは、裏を返せばこういう役割をきちんと果たせていない出版社が多いということなのではないでしょうか?

例えば編集者も、ガンガン作品にコミットするタイプもいれば、作家が書いた原稿を右から左に流すだけの人もいる。紙の本を作るには印刷・製本・流通といった工程が必要だけど、電子書籍ならそういう工程を必要としない。だから例えば、作家が直接Amazon辺りと契約してしまえば、出版社を「中抜き」できるじゃないか、といった論が出てきてしまう、と。

ただ、Amazonがそのために編集者を集めているという話もあるようで、「中抜き」というよりも、これまでは出版社じゃなければできなかった役割・機能を、出版社以外が果たすようになると言ったほうが正確なのかな、という気がします。つまり、ちゃんと仕事をしている出版社なら、電子書籍時代にも必要とされるのではないかとボクは思います。自分で何もかもできてしまうくらい力を持っている作家なら、出版社に頼らなくても済むんでしょうけどね。

三田さんは、どちらかというと「紙の本が好き」で、出版社寄りの見解を持っている方なのだなーと感じました。それでも、「著作隣接権を出版社に与えるのであれば、それ相応の責任を負ってもらわなければ困る」と言っていたのが印象的でした。上記に無い機能として「法的な問題に対処する窓口や代理を務める」のであれば、著作隣接権を与えてもいいよ、と。

確かに、出版社の言う「著作隣接権の目的は海賊版対策」というのがタテマエじゃなければ、儲かる作品や力のある作家だけ対処するようなことがあっては困りますよね。権利は義務と引き換えです。ただ、過去要求していた権利の範囲(今の要求はかなり小さくなった)や、作家に相談無しでいきなり議員へロビー活動をするといったプロセスを見ていると、「本音は別のところにあるでしょ?」と言いたくなる。これは赤松さんも言っていましたが、今要求している著作隣接権の内容に妥当性があったとしても、「やり方が気に入らないから反対」ということになってしまう。違法ダウンロード厳罰化がいい例です。



少し疑問に感じたのが、赤松さんと岡田さんから挙がっていた「最近の若い子」論。「自分の制作物がメジャーになって欲しくないとか、それでお金を儲けようなんて全く思っていないという若い子が増えている」という話があったのですが、それは違うんじゃないかなあ?と思うのです。確証があるわけじゃないですけど。

というのは、仕事ではなく趣味でコンテンツを作っている人というのは、昔からそういう傾向があるんじゃないだろうか?と。そういう若い子が最近になって増えてるわけではなく、インターネットでそういう意向が発信されることで可視化されているだけではなかろうかと。例えば、「Twitterは馬鹿発見器」と言われています。これは、最近になって馬鹿が増えているわけではなく、昔からいた馬鹿がTwitterで可視化されているだけの話だと思うのです。

また、例えばpixivみたいな場所でたまたま全世界の誰もが見られる形で作品を発信しているけど、本人の感覚としては身内だけに向けて発信しているという場合もあるんですよね。Twitterで「勝手にリツイートするな!」みたいなことを言う人もいるくらいですし。

要するに、「他に仕事を持ってるから、作品で儲けなくてもいい」のではなく、「作品を作るのは趣味でやってることだから儲からなくてもいい」という感覚なのではないでしょうか。逆に、作品を作ることを仕事にするのであれば、当然メジャーになり、儲からないと困るわけです。ただ、趣味でいいと思ってやってる人の中に、時々とてつもなく高いクオリティの作品を生み出せる人がいる、ということではないかと。

だから、赤松さんは自嘲気味に「ボクが『出版社は必要だ』と考えている要素は、古い人間の発想なのかもしれない」なんておっしゃってましたけど、違うと思いますよ。それは「仕事」とする人と、「趣味」でやる人のギャップですよ、きっと。



ちょっととりとめのないレポートになってしまいました。内容をちゃんと把握したい方は、上に貼ってあるFREEexのアーカイブをご覧下さい。

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