【書評】宮川剛さんの「『こころ』は遺伝子でどこまで決まるのか―パーソナルゲノム時代の脳科学」を読んだ。

先日、ラマチャンドランさんの「脳のなかの幽霊」を読みましたが、この本が書かれた1998年時点では判明していなかった大きなできごとがあります。それが「ヒトゲノム・プロジェクト」です。そこで今回は、その最新の知見を踏まえた本を読んでみました。こころと遺伝子というテーマの研究についての新書で、「ゲノム脳科学(neurogenetics)」という分野だそうです。

どういう遺伝子を持っていると、こういう病気にかかりやすいという話はよく聞くんですが、いまは既にどれくらい社交的か、どれくらい新しいもの好きか、などの個性や性格、知能、数学の成績、記憶力などの知的能力に影響を及ぼしていると考えられるゲノム上の個人差が解析されてきているそうです。本当かな?と思ったのですが、読み進めるときちっと科学的な形で根拠が示されていました。面白かったです。

ちなみに帯には、血液型占いを信じる人にこそ読んでほしい!と書いてありました。科学の本なのだから、むしろ「血液型占いみたいな非科学的なものは信じない!」という人をギョッとさせるような言い回しの方が注目されるのではないかな?と思いました。血液型占いを明確に否定する科学的な根拠はほとんどないとか。

こころは脳細胞の活動パターンがもとになっているので、時々刻々と変わり続けています。だから「人の心はろうそくの炎」と例えられるそうです。ある瞬間の炎と次の瞬間の炎は、物質的にはまったく別のものだけど、一見ひとつの変わらない実体、自己同一性があるように見える、というのが人のこころと似ていると。

それに対し、自分の中で一生変わらないものがゲノムです。

ちなみに、ヒトの全ゲノム解析には最先端の技術と最高の科学者たちが13年の歳月をかけましたが、いまは個体差のある部分100万種類くらいを1万円弱で調べられるとか。技術の進歩はオソロシイですね。

“Nature or Nurture”

日本語でいえば「氏か育ちか」 という疑問です。人は遺伝子によってあらゆる性質が生まれつき規定されているのか、はたまた育った環境次第なのか。これには既に答えが出ているそうです。

「両方だ」

つまり “Nature and Nurture” または「氏も育ちも」というのが答えだそうです。

一卵性双生児の研究によって、一般的知能・外向性・言語的推論能力などは遺伝率が高く、記憶・処理スピードなどは遺伝率が低いことがわかっているそうです。

知能と遺伝の関係でいうと、仮に知能テスト得点が完全に遺伝に依存するとしたら片方の親から子への相関は50%ですが、同居の場合で41%、別居の場合は24%という数字が出ているそうです。ちなみに、義理の親子(遺伝相関0%)で同居なら20%の相関があるので、真の親子で別居の場合とそれほど大きな差がないという数字も出ています。

ちなみに、こういったことを調べるのに、マウスは非常に重宝するそうです。ねずみ算式に増えるので、一卵性双生児と同じように全く同じ遺伝子を持つ個体を増やすのが容易だとか。そして、進化の系統樹上、マウスとヒトは非常に近いグループに属しており、ゲノムも非常に似ているそうです。

ある図形を見せるとコーラが飲めるという”パブロフ型条件付け”と、ボタンを押すとそれに対応する飲み物が出るという”道具的条件付け”をすると、その図形を見せるだけでコーラを選ぶ傾向を強めることができるそうです。これを”転移”といいます。

“転移”は、脳のなかでも中心に近い”線条体”という組織の一部が重要な役割を果たすそうです。購買行動のような高度に見える判断の基盤も、実は古くからある脳のメカニズムによってコントロールされているとのこと。なんだかそう考えると、自分の意思や判断というのが、ちゃんと”自分の意識”によるものなのかどうか疑問に思えてきます。

さて、調査によると、マウス遺伝子の8割は脳で発現しているそうです。そこで著者は、感情は脳の働きによって発生するものだから、遺伝子が感情に何か影響を与えているはずだ、という仮説をたて、その検証を行なっています。

例えば、カルシニューリンという遺伝子が欠損しているマウスは、作業記憶(短期間のもの)に障害がある、社会性に欠ける、などの特徴があるそうです。また、αCaMKⅡという遺伝子が欠損しているマウスは、カルシニューリン欠損マウスと同じように、作業記憶に障害があるほかに、活動量に波がある(躁鬱?)、兄弟(オス同士だけ)を殺してしまうという特徴があるそうです。

大人になっても神経細胞の新生が起きる場所が2ヶ所あるそうですが、αCaMKⅡ欠損マウスは歯状回での神経新生が、野生マウスの2倍近くまで増えていることがわかったそうです。新しい神経細胞、という話だけを聞くとなんだか良いことのような気がしますが、未成熟な神経細胞は、成熟した神経細胞と比べて、樹状突起が短く少ない、活動電位が発火しやすいが長持ちしない、という特徴があるそうです。それが兄弟殺しなどの要因になっているのではないか?と。

ヒトゲノムは30億個の塩基対で構成されていて、うち0.1~0.3%くらいが個人間で異なる配列だそうです。その個人間の違いで統計をとり、どの配列がどういう病気が多いというさまざまな調査が行われています。そこで、個人向けの遺伝子解析サービスというビジネスが生まれ、あなたは遺伝的にこんな病気にかかりやすい、という調査を1ヶ月くらいで行えるようになっています。

ただ、身長や血圧、性格や知能などの、値が連続的に変わって現れる「量的形質」のほとんどは、1つの遺伝子だけで決まるものではなく、複数の遺伝子と環境や経験が影響するし、病気に関しても食生活などの要因が大きいので、調査結果を鵜呑みにすることもできないと。

結局、現時点ではゲノム性格診断は無理だが、それはゲノムに書いてある文字数が膨大すぎて読みきれないし、その暗号もうまく解読できていないからで、近い将来可能になるだろう、と著者は推測しています。

冒頭に挙げた血液型性格判断に関して、著者はおもしろいことを言ってます。1973年に、科学雑誌『ネイチャー』へ血液型と知能指数に関係があるという報告論文が掲載されたそうです。ところが2年後に、サンプルに偏りがあるので間違った結論になったのではないか?という批判的な論文が出ました。それ以降、血液型と知能や性格の関係に関しては、一定水準を超えた学術研究はほとんど発表されていないそうです。「関係が無い」という調査結果がたくさんでているのかと思ったら、そうではないんですね。

学術論文がほとんど無いという現状で科学者としての立場で意見を述べるのであれば、科学的な水準の研究論文がほとんど無いので、関係があるのかないのかはっきりしたことはいえない というのが誠実な態度であって、学術論文を引かずに肯定・否定の立場だけでものを言うのはおかしい、と著者は主張しています。

つまり、血液型と性格の関係は「科学的な根拠はほとんどないですよ。ただし明確に否定するような根拠もほとんどないですけどね」と言わなければならない、と。

確かに、「血液型占いは科学的に否定されている」という主張をするのであれば、その統計的な根拠を示さないとダメですよね。そういう態度こそ、非科学的だと思います。ちなみにゲノムと性格の関連性についての科学的な水準の研究論文は、かなりの数出ているそうです。

好むと好まざるにかかわらず、個人が手軽に自分のゲノムを解析できる社会が既に到来しています。遺伝子解析で仮に、将来肺がんにかかるリスクが高いという結果がでた場合、それを保険会社に伝えずに有利な保険に加入することは契約違反か否か?といった問題が今後発生してきます。

アメリカでは既に、健康保険加入時に遺伝子情報による差別を禁止する連邦法が施工されているそうですが、他にも着床前検査で生まれてくる子どもを選別する、といった問題が考えられます。

つまり、倫理・社会・法律が、技術の進歩に追いついていないのです。

パーソナルゲノム化が進んだ近未来社会を描いた「ガタカ(Gattaca)」という映画があります。

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こういう未来が果たして良いのか悪いのか、簡単には答えが出ない問題ですね

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