2012年2月10日金曜日

建設的な議論をしませんか?

ボクは冷たい人間です。

いきなり何だと思われるでしょう。「いやいやそんなことないよ」と言ってくれる人もいるかもしれません。ただ、自分のことはよくわかっています。基本的に他人にあまり興味がないのです。

例えば、自分の身の回りで何か議論が起きていたとします。いや、ネットを見ていれば、毎日のようにどこかで "議論" とは程遠い言い争いが起きています。

その当事者が、他人の意見に耳を傾ける気が無さそうだと判断したら、ボクはそれを無視します。無駄だからです。わりと近しいところでの話であれば、数回くらいは何か言うかもしれません。でも、閾値はそんなに高くないです。日頃の接し方や、言葉遣いや態度によっても多少変わります。

でも、そもそも相手に他人の意見に耳を傾ける気が無いのなら、ボクが何か言ったところでその相手の考えを変えることなんてできやしないでしょう。万の言葉を費やそうと、無駄です。そのための労力や時間を、他のために使います。

そもそも "議論" って何でしょう?



ぎろん【議論】
自分の考えを述べたり他人の考えを批評したりして、論じ合うこと。
辞書的な言葉の意味はこんな感じです。うーん、なるほど。ついでに "批評" と "論ずる" の意味も調べておきましょうか。
ひひょう【批評】
よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること。
ろんずる【論ずる】
1.物事の理を示すように筋を立てて述べる。
2.言い争う。議論する。
3.問題とする。
※ いずれも岩波国語辞典第7版より

なるほど、辞書的な意味では「言い争い」も "議論" のうちなんですね。では冒頭の「議論とは程遠い言い争い」というボクの表現は、おかしいということなのでしょう。

でも、そもそも議論って何のためにするのでしょうね?

多くの場合、意見の対立する相手を言い負かすことが目的になっているような気がします。ネットだとよく「はい論破」なんていう表現を見かけますよね。「はい論破」って言う側が論理破綻している場合が多いので、論破は論理破綻の略か?なんて思ったりもするのですが。

しかし、相手を言い負かすと何が残るのでしょうね?

自分の正しさが証明される? 他者から尊敬される? 相手より強い立場になれる? 虚栄心を満足させられる? 自己顕示欲が満たされる? いやいやそもそも勝ってスッキリできる? たぶん残るのは、相手との対立関係です。

よく「ディベートとディスカッションは違う」ということが言われます。日本人はディベートがヘタなので、ディベートの主題ではなく、相手の人格否定をしてしまうということも言われます。そもそもネット上で、一定のルールの元、第三者に勝敗を裁定してもらうような、きちっとしたディベートが行われているのなんか見たことがありません。

いつのまにか、感情が最優先になっているんですよね。「あいつの言ってることが気に入らねぇから、衆人環視のもと、恥をかかせてやる」とか。「言い負かされて悔しい」とか。そして、そういう感情はなかなか消えないため、何かちょっとしたきっかけがあれば、また言い争いが始まります。

ではその言い争いを、周囲で見ている人はどう思っているでしょう?

論戦の当事者には勝った負けたが重要なことなのでしょうけど、感情的で醜い言い争いを見せられた周囲の人たちには、どっちが勝ったとか負けたとかはどうでもよくて、あいつらどっちもバカだなあと、双方の評価を下げている場合が多いのではないでしょうか。とくにネット上では、文字だけの交流のため感情が伝わりづらいためか、荒々しい言い回しや不躾な言葉を使ったり、相手を罵ったり挑発するような態度をとる場合が多く、とても醜く感じられます。



少し話を変えます。

カルロス・ゴーンさんが倒産寸前だった日産自動車のCEOになったころ、その豪腕ぶりにマスコミからは「コスト・カッター」などと揶揄されていました。「新しい上司はフランス人♪」なんていう歌もありましたね。
しかし御存知の通り、日産自動車はカルロス・ゴーンさんの経営によって危機を乗り越え、きっちり利益の出せる健全な会社へ生まれ変わりました。

日産とルノーが1999年に取り交わした「グローバルアライアンス合意文書」の基本方針には、以下のようなことが記述されていたそうです。
互いの相違点を認識して、その価値を認め合うこと。相手を尊重したうえで率直に語り、また相手の言うことに真摯に耳を傾けること。
※ 「カルロス・ゴーン経営を語る」より
カルロス・ゴーン経営を語る
カルロス・ゴーン フィリップ・リエス
日本経済新聞社
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この本を読んだ時、外から見ているイメージと、実態とではずいぶん乖離があるのだなーと思った記憶があります。もしかしたらこの本に書かれていることが虚構で、対外的なイメージ戦略なのかもしれませんが、そもそも言葉も文化的背景も全く異なる国へやってきて、有無を言わさぬ豪腕さだけでやっていけるでしょうか? 恐らくそんなことをやっていたら、優秀な人から先に逃げ出して、会社の内部はボロボロになってしまうでしょう。

この基本方針が生きるのはもちろん、ひとつの会社という枠組みがあり、その会社を良い方向へ進めることが、構成員に共通のメリットとなるからです。一緒に戦う仲間を言い負かし対立関係を生むことは、組織全体にとっては悪い方向にしか行きませんからね。

でもこれって、普段の人間関係でも同じだと思うんですよ。そもそも、自分の意見と他人の意見は、違ってて当然なんです。違う人間なんだから。自分とは異なる意見に対し、「おお、そういう考え方もできるのか」と、異なる視点をまずは受け止める方が、お互いにとって建設的だと思いませんか?

相手の言葉に真摯に耳を傾け、自分の意見と共通する部分はどこか、異なる部分はどこかを分析・検証し、異なる部分を参考にした上で自分の意見を再構成した方が、よりより考えになると思いませんか?

自分一人の頭で考えたことなんて、だいたい独善的で、物事を一面でしか捉えていなかったりします。異論・反論大歓迎という態度で、自分の意見にこだわらない方が、結果的によりよい考えが生み出せると、ボクは思うのです。

だからボクは、他人の意見に耳を傾ける気が無い人は、構ってあげないことにしているのです。お互いにメリットが無いから。冷たいやつでしょ?

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