2011年11月29日火曜日

【書評】ニコラス・G・カーさんの「ネット・バカ」を読んだ

脳科学者の養老孟司さんが推薦しているという宣伝文句に釣られて買ったのですが、途中まで読んで投げ出していました。でも、冒頭数章を読んだだけなのに、その後、この本に書かれていることがかなり「当たっている」と感じられる事象を幾度となく目にするようになったので、再チャレンジしました。
  • タイムラインなどに流れてきた怪しげな噂話を鵜呑みにして、脊髄反射的なコメントをする
  • 2ちゃんねるまとめブログなどの煽りタイトルだけを読んで、内容にはロクに目を通さず同意コメントを付けて拡散する
  • 理路整然とした反論を受けると、感情的な反応をし相手に罵詈雑言を浴びせかける
Twitter などをやっていると、こんな光景を頻繁に見かけます。ボクには、何かがどこかで狂ってきている、という気がしてなりません。この本は、そういったボクの疑問に1つの解を示しています。


ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
ニコラス・G・カー
青土社
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この本は多くの研究発表や論文を引用し、著者の主張を補完していますが、恐らくこれが絶対的に正しいとは限らないでしょう。日々科学は進歩していますから、この本が書かれた後に、引用された研究成果に反するモノが出ているかもしれません。ただ、ボクが日々感じていることと、この本で示されていることが、かなり符合しているのは事実です。



わたしはいま、以前とは違う方法で思考している。そのことを最も感じるのは文章を読んでいるときだ。書物なり、長い文章なりに、かつては簡単に没頭できた。
(中略)いまではそんなことはめったにない。一、二ページも読めばもう集中力が散漫になってくる。そわそわし、話の筋がわからなくなり、別のことをしようとしはじめる。
(中略)かつては当たり前にできていた深い読みが、いまでは苦労をともなうものになっている。

これはボクも実際に体感しています。何百ページ・何巻もある小説に没頭するあまり、ご飯を食べるのを忘れていたとか、名前を呼ばれても気が付かないとか、昔はザラでした。今ではそんな集中力がありません。文章への没入の邪魔をするメールの着信音やお知らせランプなどを切っておいても、目がただ文字を追っているだけで内容が頭に入ってこないようなことが頻繁に起こります。

本の内容を簡潔にまとめてしまうと、こうした現象は、インターネットによって脳の構造そのものが変わってしまったから、ということのようです。副題は「インターネットが わたしたちの 脳にしていること」です。

第1章は、インターネットが著者の生活に入り込んできたことで起きた身の回りの事例について。

第2章は、長年信じられていた「脳の構造は成人後変化しない」というのは誤りで、常に流動的であり、環境や行動のちょっとした変化にも適応しようとするということについて。

第3章は、地図の発明による空間認識の変化や、時計の発明による時間に対する考え方の変化、文字の発明による変化など、道具によって変えられてきた人間の精神活動の歴史について。

第4章は、話し言葉から書き言葉への変化によって、口頭で伝えられたことを記憶するために働いていた脳が、思考をページに集中させることによって、意味解釈・連想・類推などより深い方向へ働くようになった、ということについて。

第5章は、インターネットの登場によって否応なしに変化させられた他の様々な「メディア」について。

第6章は、「本」の内容の変化について。

第7章は、インターネットの使用が精神に与える影響の研究について。

第8章は、Google が目指してきたこと、行なってきたことについて。

第9章は、「脳はコンピュータと同じようなもの」といった概念を否定する研究と、「記憶」について。

第10章は結論、という構成になっています。

道具によって増幅されたわれわれの身体部分は、最終的にはその道具によって鈍くされるのだ。

ソフトウェアが賢くなれば、ユーザーはバカになる。

読む前は、こういう論調でインターネット批判が延々展開されるような本を想像していたのですが、少し違っていました。

調和の取れた精神を発達させるには、幅広い情報を発見してすばやく分析する能力と、オープンエンドな考察を行う能力の両方が必要だ。

何が得られたかに対する感受性だけでなく、何が失われたかに対する感受性も必要だということだ。

つまり、インターネットの無い生活は既に考えられないし、この変化は避けられない。ただ、今までどういう変化が起きてきたのか、そして今なにが起きているのか、これからどうなるのかを「ちゃんと知っておこう」というのがこの本の主題だと思います。

かなりボリュームのある本なので、とりあえず結論だけ知りたい人は1章と10章だけを読んで、なぜそういう結論に至ったかを知りたい人は2章以降を読む形の方がいいかもしれません。

しかし、長い文章を直線的に読んで深く思索を巡らすという経験が元々浅かった人は、膨大な情報の中から必要な情報を素早く見つけ出す能力ばかりが発達していくことになるのか……長くて難解な文章だけが素晴らしいとは思わないけど、今後ますますケータイ小説のような軽小短薄で分かりやすい物語ばかりが求められることになるんだろうなあ。脊髄反射する人も、どんどん増えていくんだろうなあ。嫌だなあ。

【追記】
ネット上では「今北産業」 という言葉を時々目にします。これは「たった今ここにきたばかりで状況が掴めないから、三行に要約してくれないか」という意味ですが、これって非常に危険だと思うんですね。長い文章を読んで深く思考を巡らすことができないから、短絡的に「答え」を求めてしまう。深く考えずに、鵜呑みにしてしまう。はっきり言って、簡単に騙されますよ。

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